経験、知識、経歴、実績。それにより生まれる自信。それらを代償にして動く意思。それに対するような体力、忍耐力。
もちろん完璧に備わってる人なんてそんなに居ない。それに必ずしも弱みはあるものだ。
しかし私には欠けすぎているもの。悲しいかな、全てから逃げてきたのだ。
どうすれば、とはなるが。逃げずに取り組むしかないこともわかっている。
それが苦手でも、嫌いでも、努力を怠ると私になるぞと言って回りたい。
まぁ、怠けていたわけではないのだが。難しいラインだが……。
逃げてはいたが、怠けたくて逃げていたわけではない。説明は難しい。これを言い訳と断じる人もいるだろう。
そのとおりである。旗から見たら言い訳なのだ。言い訳っていいわけ? あんまり良くないよね。
まぁ、本当にそれが言い訳なのかは主観にしかわからないので、私は私のことをいけしゃあしゃあと主張と捉えているが。
なぜこんなことを書いているのか? 暇なのだ。
動画を作る気にもならず、ゲームは乗り気じゃない。やらなきゃいけないことはあるが必須ではない。通話相手もおらず、どこかに属する気にもなれない。
そんな惰性の塊を相手にする人はだれもおらず。まぁ半分は私から一度横に置いたのだが。
せっかくなので惰性で1,000文字を書いてみよう。
一度広げたこの風呂敷は、畳み方を考えておらず私の人生のよう。
考え無しにものを動かし、モノを壊していく。
自分のモノに飽き足らず備品を壊すこともあった。それを忘れ去る事もあった。お世話になった人を忘れていく。自分がどこに何を置いたかも忘れていく。自分が何を言ったかさえも。
時々、自分が若年性認知症なんじゃないかと思う時がある。だがそれは違うらしい。
ADHDでもなく、PTSDでも、躁鬱でも大鬱でも、どうやら知能指数は特筆すべき点数ではないらしい。
なんなのだろう。何者なんだろう。この中途半端の塊は。何が取り柄で、なんの役に立つのだろう。
考えていると鬱屈としてきて、昔はそれでよく悩んだ。しかし、馬鹿な私はそこからも逃げた。
考えても仕方ないだろう。そう考えることにした。それは私を楽にしたが、猫から牙を抜くようで、もともと大したことのない反抗的なあれそれが抜け落ちた。
そりゃそうだ。私は生きる理由からしても自分本位で、自分本位でいることから逃げた。
誰かが悲しむことをしない。人生の責任を他人に擦り付けるこの行動原理こそが私を私たらしめる。
それはきっと、私を絶望に陥れた最後の詰みだったんだろう。

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