ちょっと早いけど。始めていきます。ルナナでーす。
まぁ簡単に言えば酒やらエナジードリンクやら遊んだりやら。そんな感じで寝不足です。あと水分不足。
精神的に調子が悪いかっていうとそういうこともなく。疲労と眠気、あと水分不足のぼーっと下感じで特別わるいわけじゃないです。
今日あったこと。
- ナイトケアに居る。
- 作業所(在宅)を二時間。
- あんまり……身にならなかった。前述の通りなので。
- 知見は得られた。
- 朝ごはんを結構食べた。
- きんぴらおいひい。
- 昼ご飯は珍しくパン塗れだった。
- 賞味期限ががっががあっがっがっががががが。
- 部屋を掃除した。
- ざっくり。
- コード類を片付けろという人が多いのだが、長さやすぐ使ったりする都合上毎度しまってると大変なので致し方ない。
- ゴミは結構片付けた。
- ペットボトルはまとめたので近日中に捨てる。
- ハンガーを買ったので服を片付けやすくなった。
- 彼氏が何故か半日通話してきた。
- 君、応答不可とか言ってなかったか? 私は嬉しいけど。
- 多分今日は殆ど動けてない。
- そもそも拘束時間が7時間あるので、特にしようもない。
- 通所してれば話題に富むこともできただろうが、多分今行ったらやばい。
まぁ、寝てたり。作業してたり。動画見てたり。動画見た、と書くのは流石にどうなんって感じなので今日はこんな感じです。
最近は気が向いたらtiktokでミルボラおじさんの動画を見ています。
正直なに言ってるのかなんもわかんないけど、特に大事なことも話さないので、ごくたまに見ています。
特に今日は特筆すべきところがないので小話。
さて。私は音楽に酔う時があります。
躁、ではないときも酔います。
多分ドパミンとかそのへんが報酬回路でやばばいことになっているんだともいます。
症状としては……
- のめり込みによるテンションの乱高下。
- 嬉しくなりすぎたり、沈みすぎたり。
- 二次障害として聴力の一時的、あるいは永続的な低下。
- 過集中。
- トイレに行かなくなる。
- 人の話が聞き取りにくくなる。
- 等
です。以前はぶち上がり過ぎたりして制御できなかったこれも今となれば「楽しむ」ですむ範疇で収まっているような気がします。
お酒とは違う酔い方で、お酒は酔ってもふらついたり笑ったり眠くなったりするだけですが、こちらは思考の染色が見られます。
ナニカに祈り願い、乞い願いたくたくなる。から始まり、人類に対して尊さを感じてしまう。あるいは尊さのあまり崩壊を願う、など。
まぁ、とにかくどっかに精神が飛んでしまうことが多いです。
頭を振ればお酒と同じようなふわつき感。
しかし、お酒とは違う感覚の鋭敏をともなった確固たる意思たち。
正直、楽です。沈んでる時でさえ、ね。
そして楽しいです。全てが我が意のままになるような、全能感。
脳内麻薬、合法ドラッグ、なんかそんな言葉が出てきそうなそんな状態です。
普通のテンションの乱高下とは違い、トリガーがはっきりしていること。そして予後に特殊な影響がでること、です。
これはそれが起きたあと反対方向に触れて大変なことになる、というわけではありません。
適切に着地すればそれはあまり起こり得ないのですが、問題は……。
価値観に大小様々な影響が出る、ということです。
今はもうすでに固定化した価値観があるので大きな影響はありません。
しかし、過去の私はそうではありません。
そして、過去の私はこの状態の私を自己洗脳することで歪になりすぎた価値観を、生きる方向へ強制しました。
そのうち記載しようと思いますが、私には原則があります。
カルテにはあると思います。
叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて契を結び、徹底的に心を大衆へと近づけました。
希死念慮を誤魔化し、生きる理由をこじつけ、最低限生きれば、赦される。死後、きっと私の願いは叶う。そう、自分を洗脳しました。
その工事をやりやすくするため、この音楽酔いは大きな力を発揮しました。
ただ暗いだけの曲は聞かず、自分の価値観に併合できるワードを探して。
もちろん、それだけに頼ったわけじゃありません。
希死念慮が出たときは反証を唱え続け、無理やり自分を律しました。
普通の人が一生かかるであろう絶望を、私は7年で無くしました。
代償は大きかったです。
生きる意味の本質的喪失。
大衆との価値観の相違。
生きる意味として言えば、最近は本質を見つけたので、必死に離すまいとしているので最近特に元気です。
その見つけた本質は私の価値観に併合し、より強固な契へと私を押し上げてくれました。
大衆との価値観の相違、については……まぁ、普通じゃないので。
叩く、って具体的に何したの?
物理的に殴ることはまま有りましたが、そういうことではありません。そもそも最近それすらもしてません。
例えば希死念慮がでて死にたいと思ったとき、傷口に塩を塗り込むようにその契を塗り込むんです。
パンにはちみつを塗り込むように。
ぼろぼろになった塗装の上から塗料を塗るように。
今となれば当然となったその価値観も、やらねば今私は居ないでしょう。
飛び降り、運ばれ、一生閉じ込められそうな気配を感じた私は、医師を欺くため自分を欺きました。
それが功を奏し、半年くらいで出たら、襲いくる希死念慮。
流石に二度と同じことはしたくないので、生きる意味を他人に押し付けていきました。
そうやって歪さのある価値観を、自己を洗脳することで、それが当たり前だとする。
私は、他人のために生きることが普通なんだと。
私は、他人が生きろと言うから生きるのだと。
それは、借り物の自己愛。
決して本質的な癒やしがあるものではありませんでした。
今年、恋人に出会いました。大振りな刃先は、洗練されたメスへと変わり、「死にたくない」「彼のために死ねない」そう、思うことができたのです。
この楔はきっと、私が私を愛する第一歩。
彼が私の手を離れても、きっと消えることなく自分を愛することができる。
そう、確信している。
と、いうわけでメンタル観測!
メンタル観測。
音楽酔い中でした。
今はある程度落ち着き、ちょっとやらかしはしましたけど、まぁセーフ。
メンタルではありませんが、胃が痛いです。音楽酔いすると胃腸にブロックがかかるんで、その影響。アドレナリンとかノルアドレナリンとか。そんなかんじ。
現状特にめちゃくちゃ悪いこともありません。流石にこのあと落ちると思いますけど。

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